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Funk / ファンク・ミュージックとは?

ファンク(Funk)とは、1960年代にR&B(リズム・アンド・ブルース)から派生したとされる音楽ジャンル、演奏法である。

ブラック・ミュージックの系譜の中で、1960年代後半からソウル・ミュージックの後に台頭してきた音楽ジャンル。最初にファンクと呼ばれる演奏スタイルを確立したのは米国のジェイムズ・ブラウン(通称JB)と言われており、レコードで言えば1965年発表『パパズ・ガット・ア・ブランニューバッグ(papa’s got a Brand new bag)』、1967年の『コールドスウェット(cold sweat)』などがはしりである。

Funk / ファンク のミュージシャン

まずは本場アメリカの話をするなら前述した通り、ジェイムズ・ブラウンが究極であり、「ファンクの帝王」の異名を取る。
その次にしばしば挙げられるのが彼の影響下にある多人数バンドの数々であり、ロックとクロスオーバーしたスライ&ザ・ファミリー・ストーン、幾層にも幾層にも無数の楽器がビートを刻む濃厚ファンクが特徴のPファンク(パーラメント/ファンカデリック)、名曲『September』で知られるアース・ウィンド・アンド・ファイアなどが該当する。

1980年代から現代に至り活躍するプリンスは、ブラウン的な多重ビートの強い影響下にありながら、同時に真逆ともいえる僅かな楽器とのその隙間の無音部分がビートを生み出す独自のファンクを築き上げ、こちらも多くのフォロワーを生んでいる。

国内では、80年代からメジャーシーンに登場した久保田利伸が、前述した『Pファンク』のメンバーをアルバムに呼び、また本場アメリカでも活躍するなど、ファンク志向の濃い音楽を作り出している。
その久保田が本場のファンクを本邦で奏でるミュージシャンだとするなら、プリンスの影響が強い岡村靖幸は、本場のファンクのダンサンブルさを会得しながら同時にポップさや日本的泣きの感覚なども融合させ、より邦楽/J-POP的なそれへと落とし込んだ極北であろう。この方向ではスガシカオなども日本のヒットチャートにファンクを融合させる課題に取り組んでいる。アイドルでは東京女子流が「どファンク」で有名である。

グループそのものや楽曲は非常に有名ながら「ファンクをやっている」と聞くと意外な人間が多いかもしれないミュージシャンを挙げると、「君がいるだけで」や「浪漫飛行」で有名な米米CLUBだろうか。デビュー当初からツインヴォーカルの片割れジェームス小野田がメインに立ち、ブラウンへのオマージュが色濃い正統派ファンクを披露していた。